新三河タイムス社

愛知県豊田市にある新聞社。豊田市、みよし市の情報を発信。

仁王川に封印 「白龍」の伝説

豊田市松平地区の「王滝渓谷」は豊かな自然が季節ごとに色付き、連なる巨岩が神秘的な雰囲気を醸しだす。この時期はバーベキューなどを楽しむ家族連れらで賑わうが、渓谷中央を流れる巴川の支流「仁王川」には封印された〝龍の伝説〟が語り継がれている。渓谷内を散策しながら龍の爪跡をたどった。

豊田・王滝町 川の氾濫や山崩れ招く
仁王川を中心に広がる王滝渓谷は、豊かな自然を活かし広く観光客を誘致しようと、1964年から開発が始まった。70年、松平町が豊田市へ合併すると、バーベキュー場や散策道、展望台などを整備していった。
 一方、王滝町の住民の間で代々語り継がれてきたのが龍伝説だ。1984年に発刊された町小史によると、1368-74年ごろ仁王川下流周辺は農業が栄えていたが、毎年決まったように山崩れや川の氾濫が起こり住民を困らせていた。
 鈴木敏道副区長(63)らの話では、ある秋の晩、18歳ぐらいの娘が川の側にある妙昌寺を訪れ、当時の和尚に涙を浮かべ打ち明けた。「私は山奥に住む大蛇。村の山崩れなどは私の仕業。仏さまの力で罪をさばいてほしい」と。和尚がお経を唱え数珠で娘の頭をなでると、真っ白な蛇に姿を変え、川のほとりの岩間に姿を消した。しばらくして岩の上にそびえる大木から物凄い爆音とともに大きな火柱が天に。燃え尽きたあとには一片の「龍骨」が落ちていた-と伝えられている。
 伝説は町民なら誰もが知っている話で、鈴木副区長は「小さいころ何度も親に聞かされた。夏休みになると釣りに行くのが日課だったけど、その辺りから上流はどうにも不気味で近づけなかった」と振り返る。
 また和尚は大蛇を「八大龍王善女神宮」と名付け、同時に「八大龍王宮」の文字を川中の岩壁に刻み冥福を祈ったとされる。現在もその巨岩は残っており、コケが覆い茂っているものの、文字は遠目にもはっきりと確認できる。
 「ワシが子どものころはまだ文字が真っ赤だった。岩壁の上流に水車を作ったことがあったが、全く動かず下流に場所を変えると滑らかに回り始めた。龍の祟りだと噂された」と町内の最長老、鈴木智さん(87)。続けて「『龍王』の伝説に加え、1300年代当時の仁王川は滝のように水量が多かったことから王滝という地名が生まれたのではないか」と教えてくれた。

20140807松平巨岩
(仁王川下流の龍門橋付近にある巨岩。妙昌寺の初代住職が大蛇の冥福を祈り「八大龍王宮」の文字を刻んだとされる)

現存する「龍骨」市文化財団が保管
 住民らの話の中で一番気になったのが龍の骨の存在。川沿いで大滝しいたけ園を営む鈴木実さん(65)によると、骨とされるものは現存し、長く妙昌寺に祀られていたという。
 「龍骨」と記された年代物の木箱に納められ、大きさは12㌢ほど。年輪のような模様が特徴で、鉄みたいに重たいらしい。窃盗を危惧した住民の総意で5年前から「松平元康制札」などと共に市文化財課に保管。11月の紅葉祭りのときだけ妙昌寺に展示している。
 ただ骨の成分などは分析しておらず、「鑑定に出してみようという話も出たが、長年伝わるロマンが消えてしまってはいけないから」(鈴木副区長)。これからも伝説として語り継いでいく考えだ。

20140807松平龍骨
(大蛇が燃え尽きたあとに落ちていたとされる骨。大きさは12㌢ほど。年輪のような模様が特徴で、鉄みたいに重たいという。現在は市文化財課が保管)

【九郎田】

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【特集】豊田の“怪談”怖~い話

生き血を吸う 太刀洗の井戸

三河三霊山のひとつで豊田市松平地区の住民にとってシンボルの六所山。その麓町、坂上町には600年以上前、罪人の首を刎ねた太刀を洗ったとされる「太刀洗の井戸」が残っている。自治区がつくったマップには史跡として記されているが、井戸にはさまざまな〝伝説〟があり、「近づくと不吉なことが起きる」という噂も。暑い夏、怖い話を求めて現地に足を運んだ。

松平・坂上町 600年前に罪人を処刑 今も残る石首

国道301号線を下山方面に走り、360号線へ左折。4㌔ほど進むと左手に見える「六所神社・下宮本殿」側に噂の井戸はある。車を降りて坂道を100㍍上る。東宮口川にかかる小さな橋を渡って、草が茂った細道を30㍍ほど進むと、木々に囲まれた緑豊かな開けた場所に出た。
 井戸は山肌をくり貫いたようにたたずんでおり、大きさは高さ1・5㍍、幅1㍍ほど。地区内にあるほかの井戸と異なり、石組がしっかりと作られた印象は受けるが、見た目は至って普通だ。

20130808井戸
↑罪人の首を刎ねた刀を洗ったとされる井戸。手元から下に向かって水をかけ血のりを洗い落としたと伝わる。石組に囲われた高さ1.5メートル、幅1メートルほど。一度も枯れたことがないらしい。


 ただ、地元では〝危険場所〟として語り継がれている。藤丸籠に乗せられた罪人が川の道を通って井戸の前で首を切られる。血のついた刀を手元から下に向って水をかけ血のりを洗い落とした-というのだ。
 「井戸の上には切られた人間の首が据わっている。絶対に立ち入るでないと言われてね。私は『ハイ』と答えるしかなかった。子ども心に恐ろしい話だと思った」
 幼いころから同地区に住む浦野鏡子さん(88)は祖父母に何度も言い聞かされた。当時、村中を遊び場にしていたが、井戸周辺だけはほとんど行った記憶がないほど。近くでまつりが行われる際も、遠回りして向った。「その恐ろしい『首』は大人になってから1度だけ見に行った。それでも触ることはしなかった」。頑なに教えを信じている。
 浦野さんがいう「首」は今も残る。人の顔をかたどった石像だ。井戸の上に無造作に置かれ、大きさはバレーボールほど。積もったコケが年代を感じさせる上、歯を食いしばり苦しんでいるような表情に思わずゾッとしてしまった。

20130808石像
↑人間の顔をかたどった石像。歯をくいしばり苦しんでいるように見える。松平親氏公が亡くなる以前、600年以上前から井戸の上に置かれているという。理由や目的は誰も知らない。

 石首にはいくつかの逸話があるらしい。「何度かなくなったことがあるようだが、しばらくすると戻ってくるみたい」と松平観光協会事務局員に昨年就いた伊藤大佳さん。杉本幹夫さん(85)は祖父から聞いた記憶を手繰り寄せるように「明治時代にもの好きな学者先生がいて、家に持ち帰ったと聞いたことがある。病気になったり、どうにも気持ち悪いことが起こるんで返したとか」と説明する。
 いつ、誰が、何の目的で石像を置いたのか-。「聞く話では松平親氏公が亡くなる以前からあるもの。600年以上は経っているのでは。ただ何故置かれたのかは誰も知らない。地蔵さんのように供養のためだろうか」と地元料理旅館「六所苑」の和田昭一さん(72)が教えてくれた。
 歴史的背景を調べようと、松平地区区長会長の中根道善さん(66)に話を聞いた。中根さんによると、六所神社の拝殿の前身は「判行堂」。初期松平氏が領地内のもめごとや、罪の裁きを六所明神の神前で行った。「その刑場がこのような話につながったのではないか。あくまでも資料のない空想の話だが」と続ける。 どこにも正確な資料が残っておらず、真実は分からなかったが、坂上町には、現在も「判行前」という地名が残る。今でこそ近づかないことはないが、「不気味な場所」と皆が口をそろえる。湧き続ける井戸水は1度も枯れたことがないため、噂に拍車をかけている。「まるで罪人の生き血を今も待っているようだ」(杉本さん)。

20130808六所神社
↑六所神社の拝殿。前身は「判行堂」で初期松平氏が罪の裁きをしたと考えられている。

 昼間は木漏れ日が差し込み「パワースポット」的雰囲気を醸し出しているが、夜は一変。街頭もないため、近寄るには相当の勇気がいるだろう。
 「ちゃんと神様に今日のことを報告していかんと」。和田さんに呼び止められ、取材後は六所神社に向い、手を合わせた。
【九郎田宏之】

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